映画「ぼくは明日、昨日のきみとデートする」のレビューです。
名作中の名作です。何度見ても感動します。観るほどに主人公二人の想いの深さを感じます。原作の小説と合わせて読むことで、この映画をより理解できます。高寿役は福士蒼汰さん、愛美役は小松菜奈さんです。
よくある恋愛物語の展開として、登場人物に病気や事故などの困難が発生し、それを乗り越えて愛情が深まっていくものはありますが、この物語にはそういうアクシデントはありません。唯一あるのは二人の時間が逆に流れているという事実だけ。この状況にあっても二人はお互いを想い合うこと、自分がすべきことをやり遂げることで愛情を深めていきます。
映画の後半(高寿にとっての後半、愛美にとっての前半)は、二人の時間が逆に流れていることを互いにわかっているので、協力しながら思い出を作り上げていきますが、映画の前半(高寿にとっての前半、愛美にとっての後半)は高寿は状況を知らないので、愛美だけががんばらなくてはなりません。愛美にとっては、彼氏(高寿)がすべてアドリブで返しくるにも関わらず、二人の未来のためには絶対に失敗が許されないお芝居を愛美はしなくてはならない状況です。愛美の感情が溢れ涙が出てしまうことがありますが、それでも彼女は芝居をやり遂げます。その愛美の状況をわかって観ると涙が止まりません。
しかし、愛美がそこまでがんばれたのは、彼女一人の力だけではありません。愛美は15歳の時に、高寿が描いた彼女の絵を見せてもらいます。その絵は愛情に溢れており、絵に込められた高寿の深い思いを愛美が感じ取りました。彼女はその時から自分がすべきことの覚悟を決めたに違いありません。愛美は20歳になるまでの5年間、水玉模様のノートを眺め、来たる20歳の30日間のことをずっと思い描いていたことでしょう。
一方で高寿も、愛美との最後の日(3月16日)に彼女の愛情の深さに気づきました。この日を起点として、彼は愛美の愛情に対する感謝を胸に5年後の彼女に20歳の30日間を伝えるべく、絵に思いを込めて15歳の彼女に会う日をずっと待ち望んでいました。
つまり、高寿が20歳から25歳になるまでに育んだ5年間の愛を、愛美が15歳の時に受け取り20歳になるまでの5年間さらに育て上げ、その結実として二人の20歳の30日間が始まったのです。
そして最後の愛美の言葉「やっと彼のもとにたどり着いた」は、まだ自分を知らない彼、一番会いたかった彼にやっと巡り合えた思いから出た言葉でしょう。愛美が5歳に高寿へ一目惚れした時の思いと重なったところで物語は幕を閉じます。
七月隆文さんの原作が素晴らしいのはもちろんのこと、小松菜奈さんの演技もとても素敵でした。ちょっとした仕草にも感情や想いがこもっていました。三木孝浩監督は小松菜奈さんをほんとにきれいに撮ったと思います。すべて名シーンと言えるのではないかと。福士蒼汰さんも見事に高寿役を演じ切りました。
そして、この映画になくてはならないのは松谷卓さんの音楽です。のだめカンタービレも好きですが、この映画でもすべての場面にふさわしい、印象に残る音楽の数々でした。特に後半の愛美の視点で振り返る時(愛美の1日目)に流れてきたバイオリンの入りは思い出しただけで涙が出てしまいます。サントラもよく聴きますが、どの曲を聴いても映画の各場面が心によみがえります。
おまけですが、15歳の愛美に会う場面の直前に桜のシーンがあり、そこに赤い点が入っていましたが、ふと19世紀の画家コローが用いた手法を思い出し、しゃれてるなと思いました。
過大な解釈をしているところもあるかもしれませんが、生きることの意義と覚悟、自分がすべきこと、人への思いやりのあり方を深く考えさせてくれる映画でした。
2022-03-16 掲載