STARS展:現代美術のスターたち―日本から世界へ 森美術館

f:id:ponponfront:20210103115503j:image

日本の芸術の第一人者達の作品展ということで、その思想に触れたくて観てきました。

 

村上隆氏の作品には伝える力がありました。洗練された表現にもかかわらず、どの作品からもオーラを感じます。

東日本大震災で発生した原発事故の跡を巡るビデオからは、復興という言葉で表すことができない現地の様子が理解でき、人類が起こした現実のはかなさを感じました。たしかにチェリノブイリも気になるし、二度とこういうことを起こさないためにすべきことが何であるかを考えさせられました。

 

李禹煥(リ・ウファン)氏の関係性をテーマとした展示は、すべての営みが、何かと何かの対峙にあるものだと感じることができるものでした。

自分は何に対峙しているのか、何と対峙しなくてはならないのか、《対話》という作品の余白が私には灰色に見えてきました。しかも、右上と左下の余白では色が異なります。あの絵に余白というものが存在するのでしょうか。

石の下敷きになって割れたガラスの作品は、重力という当たり前の自然の力に抗うことのできない人類の実力を感じました。ずっと眺めていると、人生という時間の流れに抗うことのできない自分の無力さをも感じます。流れに抗うのではなく、進むべき道を歩んでいくべきなのでしょう。

この部屋の床は白い石で敷き詰められています。日本の庭園にも石が敷き詰められているところがありますが、そのような場所は普段は踏み入れることができない場所です。石の上をゆっくり足元を確かめながら進み、空間と時間を感じながらしばし物事を考えることができました。

 

草間弥生氏の作品は、これまでも展覧会や美術館で拝見したことがありますが、今回も自分には到底及ばない圧倒的なエネルギーを感じます。精神世界そのものであり、そこに潜り、とどまり続ける人にしかできない力に感服しました。

 

宮島達男氏の作品は、東日本大震災をテーマとして扱った「時の海—東北」というLED作品がメインでした。部屋に入った瞬間に、海と時間の作品であることが理解できます。7セグメント表示器でこのような表現ができるものかと眺めていたのですが、眺めているうちに、海一面に広がる数字の変化から伝わってくる空間に広がるはかさの幾多におののきその部屋を後にしました。

 

奈良美智氏の作品は、少女のイラストが作品のメインでした、もしかしたらこの子は子供でないのではと思ってしまいました。一見やわらかそうに見えますが、視線や表情から問いかけのようなものに気付き、ふいをつかれてしまった自分はそこに突っ立っているだけでした。

 

杉本博司氏の作品のRevolution群は、ある一つのものの多様性を表現したものなのでしょうか。見る角度や時間軸の取り方によって、同じものでも見え方がまったく異なります。真実なのか虚無なのか、唯一なのか多様なのか。Revolution作品群に囲まれていると、時間と空間の感覚を失いそうになってしまい、そこに定位を求めようとする自分のつたなさを感じてしまいました。

 

全体を通して、村上家氏、李氏は、精神というものをとても丁寧に表現をしようとしてくれていると感じました。わかりやすそうなだけに一歩足を踏み入れ、わかったような気になるのですが、後から反芻すると頭が真っ白になってしまいます。

芸術という表現方法は、精神世界の表現のあらゆる試みと継続であり、多次元だということを改めて感じました。空間は言うに及ばず、時間、概念、精神、そしてそのどれもがさらに次元性を帯びています。

自分のスピリチュアルのあるべき姿、すべきことについて、繰り返し考え、表現し実践していく道を探ろうと思います。

 

 

 

 

 

 

©2020 ponponfront